前橋城車橋門跡

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前橋城車橋門跡の写真

「前橋城車橋門跡」を撮影した写真。

前橋城車橋門跡1

前橋城車橋門跡のある場所は、群馬県庁前の大通りを真っ直ぐ歩いていくと、左側にあります。
ちょっと奥まった場所にあるので、かなり分かりにくいです。
この道はよく通っていましたが、親に言われるまで、存在していることさえ知りませんでした。

角度を変えて撮影するとこんな感じ。

前橋城車橋門跡2 前橋城車橋門跡3

「厩橋城の曲輪橋御門跡」と書かれた石碑。

厩橋城の曲輪橋御門跡

「前橋城車橋門跡」という案内板もありました。

案内板「前橋城車橋門跡」

書かれているのは、以下のとおり。

関東の4名城にも数えられていた前橋城の遺構は大変少なく、現在では、県庁周辺の本丸土塁とこの門跡しかありません。
この門は、城の外曲輪(そとぐるわ)から城内に至る重要な門で、対の石積みの台石は1辺7.7m×4.25m、高さ1.4mあります。
前橋藩4代藩主酒井忠清(後に大老)の代(1637〜1681)に、2本の柱の上に横木を1本置いた冠木門(かぶきもん)から、櫓(やぐら)の2階を通って門の左右に渡れる渡櫓門(わたりやぐらもん)に改築され、その後、酒井氏の後を継いだ藩主松平氏が川越へ移城した後もこの門は存続していました。
現在の門は、昭和39年の区画整理事業により、間隔がせばめられ西側の台石が東へ8m移動されました。

また、「車橋門の石垣について」という案内板もありました。

案内板「車橋門の石垣について」

書かれているのは、以下のとおり。

この建物の下には、前橋城車橋門の石垣が保存されています。
前橋城は関東四大名城の一つですが幾多の変遷を経て、この石垣のほか、県庁周辺の土塁と大手町三丁目の空堀とが今に残っています。
前橋市教育委員会の調査によると、堀は関東ローム層まで掘りこまれ、その面に基礎として四寸角の松材を組み杭で固定した上に石を積み上げる、筏工法と呼ばれる方法がとられています。
石垣の高さは、1メートル40センチで、四角錘に切られた間知石(けんちいし)が二段に積まれています。
石垣の裏側には、玉石が裏込めしてあるなど、細かい点まで配慮されて作られています。
絵図などによると、張り出し部分に橋がかかり、史跡に指定されている石組に櫓を渡す構造であったと推定されます。